2011年5月6日金曜日

難産。

そんなこんなで結局お勤めさせていただいていた輸入車ディーラーには10年勤務させていただいて、円満退社させていただくことになったのだけど、ここにきて、アメリカに移住するのであればビザが必要だということに気がついてしまったんですねぇ、ビザがなけりゃビザウェーバーってやつで3ヶ月しか滞在できない。
しかも運転免許が取れないんですよ、ちゃんと3ヶ月以上滞在できるビザもってないと。
圧倒的車社会のロサンゼルスで車の免許はコーヒーに入れるクリープより、ハンバーグにかけるソースと一緒くらい大事。
車がないと、どっこも行けんばい。ってなるからビザ取んなきゃと焦っても、さぁどーするか。
ロスで古着の卸しをしている先輩にスポンサーになってもらえないか頼んでみたんだけど、すでに従業員をサポートしてるから無理。じゃ手っ取り早く(失礼)学生ビザで行っちゃえー!って31歳のオヤジがいまさら留学かよ状態で申し込み。
落ちましたねぇー!ものの見事!最初は旅行代理店に依頼してダメ。自分で大使館に郵送してダメ。直接赤坂の大使館に出向いてインタビュー(レポーターもマイクもないやつだからね)受けてダメ。だけど直談判は最終手段だから、これ以上テが無いんよ、これが。
っで、根性だして通うこと6回。結局最初の計画通りロス在住の先輩にスポンサーになってもらえて、旅行代理店に頼んでから実に計8回目でついに見事ビザがおりたのでーす!おかげで僕のパスポートにはイミグレーション審査済みのスタンプが7つ。
6つ目のスタンプを押した担当者(白人)なんて、「ここまでスタンプ押されちゃってたら、もう俺も許可できないよ、だって前例がこんなにあるのに、俺んときに通せないでしょ?」って言われて、なんとなく納得してしまったんだけど、ここは根性。
だけど、良い子は決して真似しないほうがいいよぉ。聞くところによると、しつこく大使館に出向いたせいで、旅行すら行けなくなっちゃった人もいるんだそう。
ようするにビザウェーバー(3ヶ月の旅行ビザ)で行くだけ行って、入国しちゃえばオーバーステイして不法で居ついちゃう可能性を持ってるって印象を与えてしまってるからね。

そんなこんなで、、なんと一年かかってやっとビザがおりたのでぇす。

2010年12月17日金曜日

生きた英会話。

そんなこんなでロサンゼルス旅行も一人とて死ぬことなく全員無事に帰国。

実際に地球の裏側で生活している人達を目の当たりにしてしまった僕は、「なんとしても人生で一回ぐらいは住んでみたい病」が体中に転移してしまっていたのだけれども、それに先立って「えいご」がゼーンゼン喋れないことに気がついたんっすよねぇ。

だってあなた、なんつったって、なんでも「パードン?」だからね。『まぁ、俺のことは「ミスターパードン」とでも呼んでくれ、フフ…』なんて言ってる場合じゃなくて、せっかくだけど英会話が無理ならアンタ無理だわ、って半ば諦めムードが足元からドンヨリを漂い始めた丁度その時期、まったくナイスなタイミングで今度は「社員旅行」ではなく「仕事」としてロスに出張となったのですよ、これが。

っで、またまたやってきました、ロサァ〜ンゼルス。
前に来た時と、まぁーったく変わってない青い空、歩いているのはみな外人、相変わらずの右側車線。思わず「う〜ん、ただいま」って、「だけどズウズウしいったらありゃしない、まだ2回しか来てないのに」そう心ん中で自答しちゃうほど興奮してたんですなぁ、僕は。
だがしかーししかーししかーし、やっぱ英語が出てこんのですわ、エーゴが。
車の仕入れもあるから、査定するときに聞かんきゃならんことが結構あるのに「パードン?」もねぇべよぉ〜、って考えると「あ、アイ、すっ、スピーク、いっ、インディアン…」ってな具合になっちゃう。めちゃくちゃナーバス。「ん〜、…ナーバス」って、知ってる人しかわかんないジジィギャグで自分をリラックスさせてるしか方法がなかったんですな。
でね、実は僕が勤めさせてもらっていた会社はロス支社があって、そこの支社長(日本人)に通訳してもらうことになったんですよ。
「支社長、このコルベット、いいんですけど、ここんとこ、ね?フロントウインドウのここんとこに飛び石の傷が入ってるでしょ?だからこのウィンドウガラスの交換って、いくらになるのか聞いてもらえませんか?」
「オーケーオーケー!だけどオマエさぁ、それくらいは話せるようになっとけよ、ったく!」
さすが、ロス在住のロス支社長、こんなレベルは朝飯前なんだなぁ、やっぱそれくらいじゃないと住めんのだなぁ…。と感心すると同時に落ち込んでいた僕のその前で、
「ディス ウィンドウ ノ チェンジ ハ ハウマッチ ダ ?」
って、でかい声で白人に聞いている支社長の言葉が耳に入って、最初は理解できなかったんだけど、よーく、よぉ〜く頭ん中でリピートしてみると、「今言ったのって、文法になってんの?全部英語だったいま?いいの?あんなんで?」って疑問が沸々と沸いてきて、「あれだったら、俺にも言えるんでないかい?」っていう、「自信」っていうよりも「ショック」の方がデカくって、「おいおい、アメリカ君が向こうから近づいてきたぞコリャ!」って大きな勘違いを勝手にしちゃって、すっかりその気になり始めたのです。

2010年12月15日水曜日

暗黒街。

「あー、俺って俺ってアメリカン…」みたいな勘違いをバリバリにしながらの夕食アメリカじゃディナーだべさをとった後、オノボリ8人がシボレーアストロに乗り込んで、天下無敵のHollywoodに繰り出しまして、んで、「どろんこプロレス」を嫌々見学してきたんだけど、そこでなんと、僕は「IDパスポートね」を持ってきてなくて、店のセキュリティーに「ID…」って言われて、「No…」みたいな返事をしたら、「$50」って返してきて、得意技の「パードン?」ってやってたら、先輩が「身分証明ないんだったら50ドル払えってよ」って通訳してくれて、「50ドルっすかぁ、…はらいます」払いましたよ。50ドル。(嫌々だったら払うかフツウ、って思ってるでしょ?)今から考えたら、カモネギもいいとこ。自慢じゃないっすけど、ここにきて生まれてはじめてカツアゲされましたわ、ほんと、シビレタ。
そんなこんなでこの店は非常にイイ思いをさせていただいたんだけど、問題はその帰り。
HollywoodからTorranceって街(ご存知の方なら物凄く遠いの知ってますよね)の宿泊ホテルまで「101フリーウェイ」を南下したあと「110フリーウェイ」に乗り換えて、それをまた南下するんだけど、その「110フリーウェイ」の途中で突然、フリーウェイを降ろされちゃったんです。しかも夜中の1時過ぎ。「えー!なんでぇ?」っと思ったら、道路工事中だって。夜中の1時過ぎだぜー!
「あららぁ〜、せっかくいい気分だったのになんですのー?」って、のほほんとしていたら、運転手をしていただいた、ご当地に詳しい先輩が「おぉー!やべ、やべぇーぞー!ここ、ワッツだぁぁ!」って焦ってて、「何ワッツ?」って電球の明るさかと思ったら、「おまえら、あのよぉ、ここ、この間、暴動あった中心だぞぉ!」って。
「暴動」とは、あの「ロス暴動」の「暴動」。
そんぞそこらの「暴動」とは「暴動」のレベルがちゃうんですわなぁ、これが。「ハイレベル危機百発暴動」こんな時間に、こんな宇宙最大危険なロケーションの真ん中に平気で降ろしちゃうんだから、アメリカって鈍感な奴が多いっつーか、ワザと犯罪を起こさせたいの?っつーか。
「だげどイイの、それでも、許しちゃう。だってアメリカ好きなんだもーん」何か文句あんのかよ、え?

っでね、一般道に下りてみると、駐車場のあちこちで黒人が屯してるし、道路は道路で黒人2,3人がトロトロ横断してるし、霧はすごいし、このままだと俺たち8人、ここにいる黒人たちにケツ掘られた挙句に銃で撃たれてオッチンじゃうんじゃないか?っていう恐怖心が沸いてきて、そうなったらマッポ(オマワリ様)に捕まった方が安全だろってことで、即爆走、即信号無視。
交通違反に関しては、元暴走族特攻隊長現在先輩上司である運転担当様が、サウスセントラル地区をぶっちぎってると「405フリーウェイ」の看板を見つけて、「かえるぞぉ!やろーどもぉ!」「おぉー!」みたいな、とても素晴らしい頼もしいワンダフルな歴史的瞬間を迎えて、無事ホテルへ戻ることができたのでした。
みなさんねぇ、もしもロス来たら、ワッツはやばいっすよ、ほんと、ワッツは。
だけどね、これまだ旅行の話しですからね、まだ。
こんなことを経験しているのにもかかわらず、「あぁ…なんて刺激的なんでしょ、ここアメリカって…住みたい…」って、もうどうなってもいいから何としても一度住んでみたくなってしまったんっすよ、僕は。

2010年11月30日火曜日

モノホン。

この世に生まれてきて初めて体験したアメリカ本土の印象は、「人間も含めて、全てがズェ〜ンズェン(ゼンゼンのチカラ入ったバージョン)観光客に媚びてない」ってとこ。
いままで連れて行っていただいた「サイパン」「グアム」「ワイハ」なんてさ、みーんな観光客がらみで生活してるじゃん?(100パーセントではありません、あしからず)だけどロスに住んでる人たちは、本格的にアメリカで生活しているから(当たり前だけど)観光客なんて「またウザッテェのがゾロゾロいるよ、ったく…」くらいにしか思っていないオーラがボヨンボヨン出てるから、こっちが恐縮してなきゃならんってのが、強烈な印象をもったのですよ。
っでね、巡りメグりました、ロサァ〜ンゼルス。
「うわぁー、本物のHollywoodサイン!」、「キャー、チャイニーズシアターのマリリンの手形足ガタァ〜!」、「きてぇきてぇサンタぁモぉニカぁ~!(古っ!)」、「あぁビバリーヒルズぅ…ゴージャス!」、「ドヘェー、セブンイレブン!って日本にもあるし…」みたいな。
いちいち感動してたんですなぁ、これがまた。
いいのいいの、だって「アメェ〜リカ」すきなんだもーん、なんか文句あっか?
っで、食事。
雑巾みたいなステーキ食って、水みたいにうすーい、コクもヘッタクレもないビール飲んで…、だけどいいのいいの、だって「アメェ〜…リカ」だもん、「スキッ、チュッ」なんだもーんだ。
っと自分に言い聞かせながら、同じメニューを一緒にオーダーした仲間が一口食った瞬間から、みるみる渋く凍りついた表情に変化していくシーンを横目で見ながら、僕は幸福の絶頂で口を半開きにしながら夕食のひと時を過ごしたのでした。

「あぁー、俺、絶対アメリカに合ってる。なんで俺、ニッポン人なんだろ、…神様ったらなんて意地悪…」ぐらいの勘違いを物凄く起こしていて、「俺、死ぬまでに一回住んでやろ、だって人生一回こっきりなんだもーん!」みたいな思いが沸騰してきたんだけど、「だけど現実の社会はそんなヨコシマな出来心だけじゃ受け入れてはくれんばい」って、僕の両肩に天使と悪魔が「ボンッ!」って煙を出しながら登場したのを鮮明に覚えてます。

2010年11月23日火曜日

本土上陸。

さて、海外デビューを飾らせていただいたグアム旅行の後、毎年一回づつ社員旅行にいかせてもらって、「サイパン」の次に「ワイハ」といきなりグレードアップした後、さぁー!っと思ったら、また「グアム」「サイパン」ときて、26歳となった90年、ついに、っつ、ついにぃ〜念願のアメリカ本土、ロサンゼルス旅行となったんでありまーす!

前の晩なんか「時差ぼけになるからとにかく寝ちゃぁいけんばい」っていう大義名分で「自由ヶ丘」にあったキャバクラ行ってそこのネーチャンつれてカラオケ屋行って、…っでイロイロあって…、とにかく全く寝てない状態で成田空港から飛び立ったのでした。

前夜は完徹(完全徹夜ね)だったおかげで、興奮しているにもかかわらず、機内でビールを飲んだと思ったら即効で爆睡。
っで、貫禄充分のスッチーに食事で起こされて「ビーフorチキン?」(アメリカの航空会社だったからね)とか聞かれて、たのんだ「ビーフ」を口にカッ込んだらまた即効で爆睡。

っで、アッという間の11時間、我が機が本土上空に差し掛かると、丁度ナイスなタイミングで目を覚ました僕が窓越しにみたアメリカは「あっけぇなぁ〜…」、これ、ようするに赤土が印象的だったもんで、『記念すべきアメリカ本土の第一印象』が「赤い」だったんですねぇ。

すると今度は一面に広がる街並みが見えてきて、ハイパー状態の僕はもう機内の窓から写真撮りまくり。
「きたよ〜きました、ロサンゼルスぅ〜」って。
迫ってくる街並みを見下ろしていると、いきなり着陸。
平べったかったんですねぇ〜、ロスって、実は。
高い建物がほとんどナイ。ホノルルより平面。何じゃこの土地の使い方ぁ!
「う〜ん、そこが、ア.メ.リ.カ.…うふっ」
なんでも許せるんですよ、いいの、アメリカが好きなんだから。なに?文句ある?
そしてそして、ついに本土の地に足を下ろした瞬間、「これは私にとってほんの小さな一歩だが…あとなんだっけ?」みたいな、感動なのか感想文を書こうとしていたのかわかんない程、感動していたのですよ、これが。
LAXの空港敷地内に聳え立つ、アトミックなデザインのミッドセンチュリーモダァ〜ン丸出しのレストラン(実はわたくし、あれ管制塔だと思っていたのよ)はテレビで観てた通りだし、
「Welcome to LosAngeles」って英語で書いてあるし、まー、たまげましたわ、まったく。
っで、イミグレーション(入国管理窓口)へ。
なが〜い列を並んで、挙句に僕の番が来たというのに、昼飯なんだか、トイレなんだか、とにかく受付窓口の半分くらいが急に閉まっちゃって、気絶しそうなくらい追加時間で待たされちゃって、やっと番が来たと思ったら、なんとも流暢すぎる、まことにネイティブなアクセントのイングリッシュでスピークされたもんだから、待たされ過ぎで意識モウロウとなっていた僕は「パードン?」って苦しまぎれに聞き返してみたはいいものの、大きな声で言い返してしていただところで、決して聞こえてないんじゃなくて、意味がわかっていないんだから、「パードン?」もねぇべよ…って感じなんですけど、とにかくその場は「パードン?」を使ってしまったために、知ったかぶりな態度でカマすしかなくなってしまって、「イェァ、イェァ、オー!イェァ!」みたいなスットコドッコイな答えをしたと記憶してます。ハイ。

そんなこんなで結局2Kgぐらい体重が減り(これダイエットにいいかも)ゲッソリとした状態でイミグレをパスすると、プーッと一服。
するとですねぇ、なんて言うんでしょ、旨くないんですねぇ、これが。
「なぜなぜ?なぜなの?」「それはね、空気が乾燥してるからなのだよ、スギサク」みたいな。
何だかわかんない展開でも僕は気にしていないんだけど、とにかく旨くない。
じゃ、やぁーめた。
っつーことで、なんとロサンゼルスはタバコが旨くなくて、滞在中は酒飲んだ後とユニバーサルスタジオのアトラクション後、シックスフラッグスの絶叫マシンに乗った後の一服以外は吸わんでよかったんですねー、なんと。

その辺からジワジワと、「あー、俺、アメリカでタバコ吸わんでも生きていけるだわぁ、いいかもしんない」って、都合のいい解釈で「俺、もしかしてアメリカあってるかも…」みたいな、自分にとって偉大な、あぁ〜偉大な一歩となったのでぇ〜す。

2010年11月21日日曜日

復活の日。

本当は2年で故郷サッポロに引き上げるつもりだった東京にオーバーステイさせたその就職先自動車ディーラーの社員旅行で「グアム島」に連れて行ってもらった21歳、そーなんですよ奥さん!、上京してすぐ、あまりにもカルチャーギャップがありすぎる東京の印象から、今日まで忘れ去られていた「アメリカアメリカ熱」が、また沸々と沸きあがってきたのですよぅ!うぅ…。

底抜けに青い空、テレビでよく目にした紫外線の強さからくる空気感、走ってる車は右側車線、出会うヒト皆アメリカ人、っと思ったらフィリピン人、看板はみな英語、っと思ったら日本語も…。まぁ、とにかく海外、しかもアメリカ領域なのですわー!
で、安いパック旅行特有の「行かなくてもいい、不愉快この上ない免税店まわり」をさせられた後、行きましたよ、さっそく、「スーパーマーケット」に。
スーパーのドアを開けた途端、おそろしく涼しい店内に「プ〜ン」と匂うエアコン臭…あ〜、たまらない、ここ、ほんとにアメリカなんだよぉ〜オッカチャン!みたいな感動なのか、はたまた単純に寒いだけなのか、すでに僕は鳥肌状態。

鳥肌立てながら店内奥へと進んでいくと、当たり前なんだけど、日常品のパッケージがどれもこれもみーんな英語!しかも派手な色使いでカッコイイものばっか!
気が付くと、いつの間にか僕が押してる大きなショッピングカートは「胃薬」やら「洗剤」やら「ピーナッツ」やら「コーンフレーク」やら「歯磨き」やら、しまいには「お米」やらの日用品でイッパイ。
これ絶対全部持って帰れないでショ?しかも仮に持って帰れたとしても、部屋に置くスペースなんか、ぜんぜん無いでショ?って頭ん中で自分を追い込んでしまうような量だったので、レジの前で「アレいらん」「コレいらん」って抜粋したものだけを自分のお土産として買ってきたのだけど、それでも凄い量になってしまっていたんですよねぇ、これがまた。

っで、結構デカイはずの僕のボストンバックには入りきらず、結局「胃薬」やら「コーンフレーク」や「米」たちを日本へわざわざ持って帰るためのスーツケースまでゲットする羽目になったんだけど、そこまでしても魅力的なパッケージには勝てなかった自分に、「カワイイ奴やのぉ〜、オレ」と愛しく思ったと同時に、「やっぱアメリカだわな、ウンウン」との想いがゾンビのように復活してきたお祝いに、帰りの飛行機出発時間まで余裕があったので、アメリカ心満載なはずの僕は「ひやむぎ」をつい気を許して食ってしまい、その水に当たって、日本に戻る飛行時間はトイレに入りっぱなし、成田空港に着いたら着いたで税関でバッグの中を開けられ、スーパーで買った『日用品』の凄さに呆れた口調で罵られたのでした…。

2010年11月18日木曜日

テクノポリス。

こうして、なんともいえない独創的な発想をもったブティックから単純に物凄い影響を受け、もちろん刈り上げリーゼントにホワイトな革シューズを履きこなし、なんともいえない独創的なアメリカンカルチャーを勝手に妄想しながら育っていった僕は、やがて妄想ではなく「本当のアメリカっつーものとはいかなるものかーっ?」を探し始めると同時に、同じ脳ミソを持ってると思しき人間たちをカキ集めてグループつくって「ブルースブラザース」とか「アニマルハウス」とか「ポーキーズ」なんかを映画館に観に行って「みんなでアメリカアメリカした生活をしてカッコつけよーぜ!」と、箸も使わず、ホッケも食わず、だけどザンギ(北海道独自の呼び方なんだけど、結局は鳥のから揚げ)だけは許してあげて、音楽なんかも決して歌謡曲なんか聴かないし鼻歌なんか歌ったもんなら即八つ裂きっていう掟までつくってガンバリ抜いた高校生活を送った後、2年間の計画で東京へと移住したのでした。

東京シティは、上京していきなり渋谷を拠点とする友人達(渋カジとかチーマーの前身ね)ができてしまったおかげで、当時19歳の僕はまずアメリカレベル以前の問題で非常にヒジョーに、もろくも「上京してきたばかりのカッペが被るカルチャーショック」っつーのを真正面から受けてしまって、「トーキョーって都会なんだわなぁ、やっぱ」ってかなり自暴自棄に陥らせてくれたトコで、とにかくモノがなんでもあって、当然ながら見るヒト見るヒト都会的で垢抜けてて芸能人みたいで外人も歩いてて「狸小路」なんかなくて「俺、とんでもないトコ来ちゃったなぁー…」って、もうアメリカとか語ってる余裕どころか脳ミソにそんな隙間すらも無くなっちゃった状態で呆気にとられてる隙になぜか当時アルバイトしていた自動車ディーラーにそのまんま就職しちゃって、2年の東京生活のはずが結局延長料金を払うことなく滞在延期となったのでぇす。