2010年11月18日木曜日

テクノポリス。

こうして、なんともいえない独創的な発想をもったブティックから単純に物凄い影響を受け、もちろん刈り上げリーゼントにホワイトな革シューズを履きこなし、なんともいえない独創的なアメリカンカルチャーを勝手に妄想しながら育っていった僕は、やがて妄想ではなく「本当のアメリカっつーものとはいかなるものかーっ?」を探し始めると同時に、同じ脳ミソを持ってると思しき人間たちをカキ集めてグループつくって「ブルースブラザース」とか「アニマルハウス」とか「ポーキーズ」なんかを映画館に観に行って「みんなでアメリカアメリカした生活をしてカッコつけよーぜ!」と、箸も使わず、ホッケも食わず、だけどザンギ(北海道独自の呼び方なんだけど、結局は鳥のから揚げ)だけは許してあげて、音楽なんかも決して歌謡曲なんか聴かないし鼻歌なんか歌ったもんなら即八つ裂きっていう掟までつくってガンバリ抜いた高校生活を送った後、2年間の計画で東京へと移住したのでした。

東京シティは、上京していきなり渋谷を拠点とする友人達(渋カジとかチーマーの前身ね)ができてしまったおかげで、当時19歳の僕はまずアメリカレベル以前の問題で非常にヒジョーに、もろくも「上京してきたばかりのカッペが被るカルチャーショック」っつーのを真正面から受けてしまって、「トーキョーって都会なんだわなぁ、やっぱ」ってかなり自暴自棄に陥らせてくれたトコで、とにかくモノがなんでもあって、当然ながら見るヒト見るヒト都会的で垢抜けてて芸能人みたいで外人も歩いてて「狸小路」なんかなくて「俺、とんでもないトコ来ちゃったなぁー…」って、もうアメリカとか語ってる余裕どころか脳ミソにそんな隙間すらも無くなっちゃった状態で呆気にとられてる隙になぜか当時アルバイトしていた自動車ディーラーにそのまんま就職しちゃって、2年の東京生活のはずが結局延長料金を払うことなく滞在延期となったのでぇす。